卒業式~2023ver.

2023年3月3日、無事に卒業式を終えました。

ちょうど1年前の3月3日。
卒業する3年生に、お花を渡しに学校まで行きました。
教室から出てくる、卒業生を待つ親御さんたち。
その姿を見て、胸にこみあげてくるものがありました。

あれから、1年後の3月3日。
卒業生を待つ親、となった私たちです。
そして、最後の最後までバタバタとしていた親と子の高校生活だったなー

しみじみ思います。

下の子は、2月の終わり、部に3年生を送る会をしてもらい
自宅へと帰ってきました。
約3年ぶりの、下の子がいる生活です。

その生活、に慣れるのも、私は少し時間がかかりそうですが
その話はまた別でお伝えします。


卒業式当日は、一緒に車で行く気だったのですが、下の子が親と一緒の
時間に登校してはだめなのでは?と、冷静に考えたようで
朝は、電車で登校しました。
私は卒業式、この時間までに着席を、の1時間半前に自宅を出れば
いいだろうと逆算し、車で出発しました。

自宅から学校までは、すっと行けば車で40分の距離です。
が、そこは朝の通勤時間、で最寄りの高速出口も混む、を予想し
1時間半前の出発でしたが!!
高速乗ってすぐに、事故渋滞の文字が。
自宅最寄りの入り口から、2つ先の降り口まで1時間かかった時点で
時間通りの出席は諦めました。

学校へ、遅れる旨の連絡を入れます。
次の有料道路入り口で、トイレも行きたいし・・で
もう無理だ!と下道へ。
そこまでで、自宅から出て、もう2時間は経過していました。

子育て生活最後になるであろう、下の子の卒業式。
あーあ・・と思いつつ・・仕方ない。
お世話になった先生方にお花を渡す、だけの
任務を遂行しに行くしかない、と切り替えました(泣)

下道に降りて、ナビの案内する道をひたすら走る。
学校へ到着したのは、自宅を出て約3時間後です。
渋滞の連絡を受け、他からもあったのでしょう、卒業式開始を
少し遅らせてくれたようでした。
席に着くと、学校長のお話しの途中で
保護者代表の祝辞も、在校生の送辞も
卒業生の答辞も、聞くことができました。
いやー、よかった。

卒業式が終わり、在校生聖歌隊が3年生を歌で送り出します。
感動です。

各クラスの思い出の写真と、親へのメッセージ
DVD鑑賞会もありました。
写真のほとんどがマスク姿、です。
卒業アルバム、すらも、ほとんどマスク姿でしたね。


ですが、どの子供たちも
笑っている顔はもちろん、すましている顔でも、楽しそうな
様子が伝わってきました。
彼女たちの青春は、その多くが制限された中ではありましたが
その中で、精いっぱい楽しもう!輝こう!と
キラキラしたものだったんだな、と思いました。

そして、DVDの中に
青春って密だったんだ。の文字があった時
ほんとにそうだ、と思い、泣きそうになりました。

各クラス担任と最後のお別れをし、教室から出てくる
卒業生を待つ私たち。
天気が良くて、日が当たっているところが暖かくてよかった。
1,2年生たちも駆けつけて来てくれて、それぞれ3年生にお花を渡してくれました。
それからは、卒業生との写真撮影会。
みんな、本当にいい顔しています。

先生へのお花も、無事に渡すことができました。
3年生それぞれと写真を撮って、お礼も伝えることができました。
これで、もう思い残すことはありませんw


3年生のみなさんへ。
3年間、本当にお疲れさまでした。
あなた達の学校生活のほとんどは、部活中心の毎日だったと思います。
二年上の先輩方が引退した後は、一つ上の学年が少なかったことも
あり、チームの中心にならないといけなかった。
それだけ練習試合をこなすことができてよかった半面、心は
追いつかなかったこともあったでしょう。
楽しい、嬉しい、ことよりも、しんどい、苦しい、痛い。
ことのほうが、圧倒的に多い世界。


そんな中、耐えることができたのは
仲間と先輩、後輩と、家族と
そして先生方の支えがあったから、だと思います。
もちろん、乗り越えた本人が一番頑張った、と言い切れる。

自分は乗り越えることができた、ことを
これから歩いて行く道への、自信と支えにして
これからも頑張って欲しい、と思います。

あなたたちの人生は、まだ始まったばかり。
法律上は、成人でもある。
強く、たくましく、そして優しい人に。
できる、自分たちはできる。

今までと同じように、ずっと応援しています。
ガンバレー!!


卒業おめでとう。





その他
mutumisanをフォローする
volleyball を通じてみんなと繋がろう

コメント