カラダヘンレキ ~その2

身長は、小学校卒業時に158㎝くらいでした。
大きい方ではあったけれど、一番後ろではなかったと思います。
中学校に入って、バレーボールに出会い
バスケットゴールに向かって空ジャン(助走の練習)する日々。
ジャンプをして、上へと伸びるのがよかったのか
もともと両親は大きい方だったので、遺伝なのか
加えて、めちゃくちゃ食べていたので
成長期、栄養、運動。がマッチしたんでしょうね。
ぐんぐん伸びて、伸びて、ひざも成長痛がありましたが
中学校を卒業するころには、174㎝ありました。
体重は、まだカリカリだったので、53㎏くらいだったでしょうか。

やせっぽちの自分が嫌で、晩御飯をたっぷり食べた後
毎日、ポテトチップスと、スプライトを500ml飲んでいました。
太るために・・
念願かなってw、高校に入るころには
60㎏近くにはなっていたと、記憶しています。

さて、出口の見えないトンネルから抜け出したくて
右往左往していた、企業での現役時代。
ようやく光が見えてきたのは、3年めの20歳頃です。
ひざの手術も、1年めで一度して
3年めまでに、逆のひざを一度手術していたような気がします。
覚えていないものですね。
そして20歳を境に、体重が減り始めたのです。
何でだろう?
年頃だったのか?
ストレスは変わらずありましたが、2年め以降になると
後輩も入ってきますよね。
そのおかげかも、しれません。

ダメな自分でも、下が入ってくれば先輩になります。
下の子にバレーで負けたくないのは、もちろんありますが
あまり情けない姿は見せたくない気持ちが、働くものですね。

ようやく少しずつ安定し、動き始めた自分の体です。

それでも3年め、そのシーズンのレギュラーには入れませんでした。
安定感がなかったんでしょうね。
本当に悔しかったです。
何しに、ここまで来たんだろう。
3年もいるのに、練習もしてきたのに、まだダメなんて。
と、絶望的な気持ちになりました。

リーグのシーズンが終わって、帰省があるのですが
そのまま故郷には帰らず、鳥取の温泉に立ち寄りました。
ちょっと、いろいろ考えたくて。
同期が本気で心配していましたw
何か変なことを、考えているんじゃないか、って。
死ぬ、とか??
私は、そんな勇気はなかったですw
絶望はしていましたが、これからどうしていこうか。
リセットしたかったのだと思います。

4年め、21歳。
3年めのシーズン後、ライトポジションだった同期が一人
自分の姉がいる企業へ、移籍しました。
当時の移籍は、まだ珍しかったように思います。
その同期が抜けて、自分がレギュラーに入れたのだと思います。
そんなことがあるんですね。
目の前が、ぱぁっと急に開けたような、気がしました。
運も実力のうちw
やるしかない。

体は、一番充実し、動いていた時期だと思います。
気持ちが充実すると、ストレス解消に食に走ることもなくなりました。
食べ物と自分との距離を、ようやく掴めたのでしょう。
ひざや、腰や、痛かったところは満載だったし
合宿も多く、練習は、とてもしんどかったですが
やる気、で仲間と励ましあい、頑張っていた、と思います。
その年のリーグで、ひとつ下のリーグから全勝優勝で
トップリーグに返り咲くことができました。

達成感いっぱいで、その年を終えることができた、と
結果を見れば、そう思うのですが
個人的には
まだ納得のいかない想いを、抱えていました。
うまく説明は、できないのですが
自分が理想とする動きには、程遠かったのか。
よくわかりません。

祖母が、当時のリーグの模様が、掲載されている
マガジンを切り抜いて
アルバムに貼ってくれています。
それを今見ても、自分、頑張ったよな。
素晴らしい動きをしていたな、と全く思えないのです。
まだ、自分の心と、体が一致していなかったのだ。
と思います。

果てしない・・。

トップリーグで戦うため
5年めに、チームはトレーニングの第一人者を招き
ウエイトトレーニングに力を入れていました。
その夏にしたフルスクワット、何㎏だったのか?100近くだったのか。
した時に、ひざに激痛が走り、あ~・・。
右ひざ軟骨損傷。
3度目のひざの手術をして、1か月ほど入院しました。
その年、秋の韓国遠征には行ったのか、行かなかったのか
よく覚えていませんが、練習はほぼできないまま、トップリーグへと
突入したことは覚えています。

5年め、その年のリーグ。
トップリーグでしたが、戦績は振るわず、7位。
入れ替え戦では勝って、トップリーグに残留しました。

6年め、7年め、と辞めるまで、あと2年の月日とリーグ模様。
体づくりをどうしていたのか。心のケアは。
もう少し、お付き合いいただいてもいいでしょうか?
続きは次回へw

今回も、良い兆しが見えてきたのに
結局は、納得いくことがない自分の心と体でした、よね。
要は、バレーボールが下手くそだったのでしょうw
こうありたい自分。の理想があるのに
どこまで進んでも、よくやった!と自分に言えない。
特に、5年めの、ようやくトップリーグの舞台に立てる!と意気込んで
励んでいた時期の、軟骨損傷での手術と入院は、とても痛かった。

こうやって、お話ししていても
何やってんの?って、本気で思いますw

それでも、諦めなければ
人は、また立ち直ることができる。
どん底の想いを、抱えていた日々。
いつも、今がどん底だから、あとはあがっていくだけ。
と自分に言い聞かせていた。
自分にひとつだけ、褒めるところがあるとしたら
いつも、現状をどうにかしようと
どうにかしたい、と
自分を諦めず、進もうとしていたことだけ。
だから、あなたも。
諦めなければ、大丈夫。
一緒にがんばろう。












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