自信ってなに?

曖昧なこの、自信、という言葉、みなさんはどう思いますか?

あったほうが良さそうだし、かといってあり過ぎるのもどうかな。
定義はあるものの
人それぞれで、感じ方も人によって違うのではないかと思います。

自信、とは、その字のように、自らを信じること。とあります。
では、自らの何を信じることでしょうか。
広辞苑によると、自信とは、自分の能力や価値を確信すること。
自分の正しさを信じて疑わない心。
とあり、自分の能力と、正しさを信じることも、自信のようです。

私が、今までのバレーボール人生を考えたときに
自信についてどう捉えていたのか、考えてみました。

バレーボールを始めた中学生のころから、バレーボールで入った高校まで
自分がバレーボールをしている中で、
自信がある、ない、とか考えたことが
ありませんでした。

日々、何を考えて学校へ行き、部活をしていたのか。
何に笑って、何に悩んでいたのか。
うまくいかないことも、しんどかったことも、たくさんありました。

高校へ入ってすぐ、インターハイ予選で
3年生のチームに入って、初めての試合をしたときは
高校の試合は楽しいな、と思いました。
練習中、引退間近の先輩に、あと数日で引退だ、1年はあと2年と数日やね。と
言われたときに、羨ましいなー、の感情は覚えているので
練習は、しんどかったのだろうと思います。
自分の状態と、感情をあまり深く掘り下げて、考えたことがなかった学生時代。
ぼんやり生きていたのだと思います。

故郷を離れ、大阪の企業に入りました。
同期入社は42人くらい、バレー部の同期は8人いました。
バレー部は会社に所属しているものの、仕事はなく、バレーボールだけの生活でした。
今まで、部活としてしていたバレーボールを、職業としてする。
当時の監督には、部活じゃない。
給料をもらってバレーボールをしているんだ。と
入った当初は、毎日のように言われていました。
要は、バレーボールは仕事なんだから、しっかりやれ!ということです。

いやぁ、苦しかったです。
朝から晩までバレーボールをする生活。高校は通学生で家に帰れました。
福岡から大阪へ、親元を離れ、初めての寮生活。
初めての集団生活。
1年生は、バレーボール以外の、しなくてはいけない仕事も多い。
練習でも先輩に追いつかないといけないから、全体練習が始まる前は、早く出て練習。
終わった後も、居残り練習でした。

いきなりのオーバーワークが原因か、1年めからひざを痛めて、手術をしました。
治って復帰しても、レギュラーに入れなくて、3年めくらいまでは、本当にしんどかった。
何のために、バレーボールをやっているんだろうと毎日考えていました。

その苦しさの答えを探したくて、いろいろな本を読みました。
仏教などの宗教関係の本から、哲学の本、体に関する本、食べ物に関する本。
体重管理にも、本当に悩んでいました。
体重がなかなか落ちなくて、ストレスでした。
何もかもがうまくいかなくて、心も体もぐちゃぐちゃだったことを覚えています。

自信、ということを考えると、何にも全く自信がありません。
バレーボールをするために、大阪まで来たのに、何の結果も出せない。
自分のしたいようなバレーボールが全く、出来ないのだから。

だけど、本当に苦しかったけれど、逃げることは考えたことがありませんでした。
1年めで怪我をした時
監督に練習で捕まった時
悩んでいるとき
いつも助けてくれるマネージャーの先輩がいました。
練習では、あほや、ボケや言われている私を、いつも励ましてくれました。
その先輩から、石の上にも3年、言うやろ?3年は頑張りよ。
と言われて、3年は何があっても頑張ろうと思っていました。

そして、いろいろな本を読むうちに思いました。
自分はまだ、何も結果を出していないけれど
自分だけは自分を認めてあげようと。
自分が自分を、見捨ててしまったらいけない。
自分を諦めることなく、今できることを一生けん命、頑張ろうと思いました。
それが、自分を信じる。
私の考える自信なのかな、と思います。

今、できることを、一生けん命頑張る。
今、何をするのか、何ができるのか、考える。
今、することが決まったら、ただひたすら、頑張る。
今、を積み重ねていくうちに、自分はできる!の
自信が、いつの間にか生まれているのではないかと、私は思います。

毎日練習をして、ミスをして
毎日怒られて
練習に行くのが本当に、嫌で嫌で仕方なかったけれど
朝起きて、練習に行く前に、部屋のボードに貼った

今日はまだ何もミスをしていない、新しい今日だ。

の言葉を思い出します。

さぁ、新しい今日です。
自信を持って
上を向いて
今日も歩いて行きましょう。




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